ニュースを知って僕は暫く思い出をたどっていました。
東京に来て直ぐの頃の神田駅、ガード下の中央通りに出ると初夏の陽射しも街を活気づけていました。履歴書と作品を布袋に入れて薬屋の多い路地の様な通りを抜けると、まだ真新しいニューサンビルが右側に白く明るく見えました。縦型の独特の文字でササキスタジオの看板を確認し、緊張して入った事がきのうの様です。
東洋でナンバーワンのカメラマン集団と当時の玄光社編集長に紹介されて迷わず決めて来たのですが、スタジオ社内のスタッフの活気に更に緊張しながら佐々木さんにお会いしました。
あの時20人以上の先鋭カメラマンと元気なアシストスタッフ総勢100人以上で、先ずは掃除片付けから使い走り、まだfaxも無い時代ですから銀座などによく一枚のラフスケッチをもらいに行ったりしました。仕事が次々と重なるアシスト時代「なにくそー」を何度も心の中で叫んだか解りません。僕には貴重でタフな力が身に付いた時代でした。プロフェッショナルな先輩達のいる環境の中で多くの職人の技術を身につけることが出来た素晴しい会社でした。僕は今自分の作品づくりの毎日ですがその頃の同僚からの知らせは、その業界先端を導き活躍して来たササキスタジオの終焉のニュースでした。
時代が変わる中でその役目を次ぎの出来るところが何処か解りませんが、挑戦する新しい日本の広告写真をこれからも見てい行きたいと思います。
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